ことばの世界

言語学を勉強してます

ことばの機能

ことばを使ったコミュニケーションの働き、作用のことを指す。社会言語学の領域では非常に重要とされる考え方である。ことばの機能っていっても、具体的にどんな機能があるの?と疑問を持ち、機能を分解していった学者の一人にヤコブソンとハイムズがいる。

ヤコブソンの6機能説

詩学と文体論(Jakobson 1960)」の講演でヤコブソンはことばには6つの機能があると述べた。現在このヤコブソンと後に紹介するハイムズの7機能説が一般的に知られている。

1. 情動的 (emotive)

ことばを発して、他者に伝えようとする送り手に関わる機能である。「えっ!?」「うわ!!」といった驚きや「Fuck!」「Shit!」など怒りを表すことばがこの機能を持つ。つまりは話し手の気持ちが率直に出たものである。

2. 動能的 (conative)

話し手が話し相手に何かしてもらいたいときに使う言葉がこの機能を持っている。「行け!」「急げ!」や「〜してくれませんか?」など、命令・要請・依頼・勧誘・禁止表現がこれに当てはまる。「この車の中、暑いね(クーラーつけない?という意味が隠れてる)」など日本語のように婉曲的にこの機能を持つ表現も存在する。

3. 間接的 (referential)

出来事や事象をただただ伝える表現がこの機能を持っている。「●●容疑者、逮捕」「×××祭りが○月△日に開催されます!」などが当てはまる。

4. 交話的 (phatic)

人は誰かにあうという接触状況において、会話を行なう。挨拶や噂話などがこの機能を持つ。つまり人と人とが接触したときに発生される言葉を指し、言葉が接触においてのなんらかのクッションとなり役割を持つことを意味する。

5. メタ言語的 (metalingual)

メタ言語的というとわかりづらいが、ある言葉を別のことばで言い換えることを指す。例えば辞書なんかがそうだ。

くうふく【空腹】:腹がへること。すきばら

などの事例がメタ言語的機能を持っているといえる。

6. 詩的 (poetic)

詩的機能とは言語表現を使って、そのもので遊ぶことを意味する。俳句やラップなどが当てはまる。

また、ハイムズは上記ヤコブソンの6機能説に1つの機能を付け加えて7機能説を述べた。

7. 状況的 (contextual)

状況的機能とは、コミュニケーションの仕方を変えたいときに発せられる言葉を指す。「では講義を始めます」であったり、「これからディスカッションを行ないましょう」などがそうだ。

ことばの機能における各機能説の問題点

ヤコブソンにしろ、ハイムズにしろこれら機能説が完全に正しいかというと疑問が残る。6機能なのか7機能なのかというカテゴライズの問題、また1つの機能をマクロ機能と捉えるとミクロ機能がいくつか集合したものだと捉えられるのだが、どこまで粒度を細かくしていくかという問題もある。同時にすべての言葉は各言葉につき1つの機能しか持たないのか?重複するシーンはないのか?など考えられるので一概に機能だけに頼って分析するのは難しい。

ディスコース―談話の織りなす世界

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言語分析をしてみる

ことばの構造とは

言語学においてことばの構造とは、ことばの部分と部分の関係を指す。文を対象にするのであれば、文の中における句と句の関係を指し、句の構造と言えば、句の中の語と語の関係を指す。このようにことばを分解し、ことばの単位である句や語、音韻のレベルごとに考察するのが言語構造の分析である。
通常、ことばの構造を分析するには以下の視点で分析をすすめる。

  1. 文構造を分析する
  2. 句構造を分析する
  3. 語構造を分析する
  4. 音韻を分析する

構造分析してみる

(1) オナカガスイタ

という例文を取って構造分析をしてみる。
Ⅰ. 文構造をみる

オナカガ + スイタ

と2分できる。前者は主語を指し、後者は述語となる。これは文を句と句に分けたので、「名詞句+動詞句」の文構造を成している。

Ⅱ. 句構造をみる
(1)の前者は「オナカガ」となっている。これを分解すると

オナカ(名詞) + ガ(格助詞)

というなる。

Ⅲ. 語構造をみる
さらに「オナカ」に焦点を当てると

オ(接頭辞) + ナカ(名詞)

となっている。「オ(接頭辞)」は丁寧さを表す接頭辞オのことである。

後半の「スイタ(動詞句)」も同様に分析してみると

スイ(動詞連用形) + タ(断定の助動詞)

となっているのがわかる。 ここで(1)の例文のすべてが分析できたかように思われるが実はそうではない。 これが話し言葉だった場合、イントネーションによってもまた意味が異なってくるので、さらなる分析が必要になる。

Ⅳ. 音韻を分析する

- (1-a) オナカガスイタ →   (平叙文)
- (1-b) オナカガスイタ ↑   (疑問文)

このように文末のイントネーションを変化させるだけで意味が変わってくる場合もある。

ディスコース―談話の織りなす世界

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言語の持つ社会的評価の影響

言語変種からみる社会階層と地域性

言語における標準変種と非標準変種 - ことばの世界で把握したように、社会階層によって同じ英語でも使っている言葉の文法や発音、アクセントが異なることがあり、それを変種と呼ぶ。変種には標準変種と非標準変種に分けることができ、それが相対的に上下関係にあるというのが現状である。上流階級の人々はどんな場面でも標準変種を使用する傾向にあり、皆が同じ話し方をするため、その人が属する社会階層は分かっても地域性を判断することはできない。階層が下がっていくにつれ、非標準変種を使う人々が増え、そこでは社会階層・地域性の両方を区別することができる。また標準変種は言い方や発音・文法にある程度統一性があるが、非標準変種は土地方言のため、地域によって表現の仕方や文法・発音が異なったりする。そのため、より地域性の判断がしやすいと言える。

ラボブによるアメリカでの実験

ラボブ(Lavob)は1966年にニューヨーク市で使われている言葉の大きな調査を実行した。もともとニューヨークの英語では母音の後の[r]の発音はされない方言であったが、第二次世界大戦後[r]の発音がされるようになったことを具体的に判明するためのものだった。(ちなみにこの現象は[r]の発音をすることで上の階級の威信をものにしたいという理由で導入されたと考えられる。)ラボブはニューヨーク市内の各階層が利用するデパートにて覆面調査を行い、[r]の発音がどれくらいされるのか調査した。結果として、富裕層・上層にいる人々は[r]の発音を頻繁にする傾向にあり、逆に下層階級にいる人ほど[r]の発音はされない傾向にあった。また聞き返しによる反復が生じた場合は[r]の発音の頻度が極端に上がったのが中層階級であった。これは中層階級の人が上層階級のように見られたいという心理的不安からくるものだと推測できる。

過剰矯正の発生傾向

ラボブは1991年の調査で中層階級に属する人々は言葉の持つ社会的評価に非常に敏感であることを明確にした。ラボブはニューヨーク市内の人々にカジュアルからフォーマルなテキストを読ませ、どれくらい標準変種を使う傾向にあるのか調べた。すると上層階級よりも中層階級に属する人がフォーマルなテキストを読む際に標準変種を意識する傾向にあったのだ。この現象を過剰矯正と言う。これは中層階級が言葉に対して社会的不安定さを持っていることを示した。これにより中層階級は下層階級の言葉を使いたくはないが、上層階級の人と同じように見られたいという欲求が存在し、そのため上層階級の人よりも標準変種に対する意識が高まったのだと言える。

言語における標準変種と非標準変種

言語には標準変種(standard variety)と非標準変種(non-standard variety)が存在する。特に非標準変種は土地言語(varnacular)とも呼ばれる。 これらの変種は、地域性のみでなく、社会階層によっても規定される。

標準変種を使う人たち

主に上流階級に属する人々が使い、「上品」「好ましい」などの印象を持たれる。また標準変種は社会的に威信があると見なされており、政治的・文化的・経済的・軍事的優位性を持つことが多い。

非標準変種を使う人たち

相対的に標準変種を使う人と比べると下層階級に属する人が使う傾向にあり、「間違っている」「汚い」などのイメージがもたれている。しかし、標準変種であろうと非標準変種であろうとコミュニケーションを計る上での手段であり、そこには価値がある。なので非標準変種であろうともそこには標準変種とはまた別の威信が存在し、これを潜在的威信とよぶ。いわゆる仲間意識や地域内結束を目的としたときに生じる威信に近い。

例:イギリスの標準・非標準変種

イギリスにおける標準変種とは主にRP(Received Pronunciation)やSE(Standard English)である。RPはイギリス人口の5%が使用しており、上流階級の人々が主に使っている。SEは人口の15%が使っており、学校で習ったり、ニュースなどで使われたりと一般的なものとして存在する。一方で、Cockney Englishはイギリス東ロンドン地域で労働者に使用されている非標準変種の1つで、相対的に下流階級未満の人々が使う方言と見なされている。しかし非標準変種にも威信があると上記で述べたように、Cockney Englishも仲間内の結束力を高める、という威信が機能している。

言語学的に標準・非標準変種を区別すると

非標準変種と表現してしまうと、標準変種は不適切な変種という意味合いが取れるので、社会言語学では非標準変種(non-standard)ではなく、vernacularという用語を使ったりする。

日本は多言語社会か

多言語社会について考える際、思い浮かぶ国々はというとアメリカやフィリピン、ヨーロッパ(EU)あたりになるのではないだろうか。逆に非多言語社会といったときに思い浮かぶのは単一民族国家と一般的には認知されている日本になるのではないだろうか。しかし日本も実は多言語社会なのである。その理由を以下にまとめた。

多言語社会としての日本

日本は単一民族国家として認識されているが、実は歴史を振り返るとそれは違うということが言える。アイヌ民族はもともとは和人と区別されていたし、琉球民族も同じように明治以降日本人として組み入れられたので、もともとは別の民族だとして取れる。もちろん言葉も違う。アイヌ語琉球語も生粋の日本人には聞き取れないし運用することも学ばない限りできない。なのでこれらは別の言語として認識されるので、本来日本には日本語以外に別の言語が存在することになる。さらに90年代以降は外国人が日本に多く流入してきたので、標識にも英語や中国語、場所によっては韓国語などが書かれている場合もある。これは日本政府が他国語を公共の場で利用し、人々がそれを受け入れているという状況を表す。この状況を多言語社会という。

日本の社会的多言語能力と資産

社会的多言語能力とは、その社会がどのくらいの数の言語を使っているか、どの程度使っているかといった能力を指す。日本はというと、公共の場(標識や案内図)では主に3カ国語(日本語・中国語・英語)が使われている。場所によっては4カ国語(上記+韓国語)使われている場合も存在する。しかし、日本人個人にフォーカスするとどうか。多くの日本人が日本語しか運用できない。英語を学校で学ぶことはあるが、運用するレベルでは教育が施されていない。別の言語に関しても同様なので個人の多言語能力をみると著しく低いと言えるだろう。そうなってくると日本の多言語社会としての資産(国内の多くの人が多国語を使用できることによって得られる恩恵)は少ないと言える。

壁としての言語意識

言語は文化と深い関係がある。文化の延長線上に言語があるので、他国語を学ぶ際、学習者はかなりの時間、習得に時間を要する。習得すると一概に言っても程度問題があるが、ここでは単に文法・単語の正確度や会話の成立度だけでなく、文化を理解した上での言語運用を意味する。この視点で言語習得を考えると、学習者には言語意識に対する壁が存在すると一般的には言われている。壁とは何かというと、他言語を学ぶ際にでてくる苦手意識や文化の違いによって発生されるニュアンスの習得の困難さなどを指す。多くの人が英語を学んできているのに、いざ外国人に道を聞かれると「アイドンノー、アイキャントスピークイングリッシュ」と咄嗟に返信してしまう英語やスピーキングに対する心理的障害とも言えるだろう。しかし、この壁の問題は若い人々ほど低い傾向にある。小さなころから部分的にしろ単語に触れ、音楽や映画、ドラマなどを通じて欧米文化に触れる機会が相対的に他の世代より多いからだと推測できる。

アイヌ語の衰退過程と復興

同化政策アイヌ語の衰退

1869年、大日本帝国蝦夷地を北海道と改められ、和人が次々とその地に開拓を図るようになっていった。同時にアイヌ民族に対して狩猟/漁業の規制を設け、アイヌ民族の伝統的な暮らしを強制的に変えていくこととなる。和人は旧土人学校(アイヌ学校)を設け、アイヌ民族の風習や振る舞いを野蛮なものとして教育し、アイヌの文化を意図的に衰退させ、和人への同化政策を取り計らった。 1899年、北海道旧土人保護法が制定され、アイヌ人保護という名の元に、以下の取り組みが行なわれた。

  1. アイヌの土地の没収
  2. 収入源である漁業・狩猟の禁止
  3. アイヌ固有の習慣風習の禁止
  4. 日本語使用の義務
  5. 日本風氏名への改名による戸籍への編入

かくして、急激な文化・生活の変化に対応せざるをえない状況になったアイヌ民族たちは急速に貧しくなり衰退の一途を辿った。しかし、国勢調査ではアイヌ民族は省かれて集計されていたので、具体的な人口の推移は計れていない。

戦後のアイヌ復興の過程

戦後、日本が高度経済成長に突入するとアイヌの土地は一つの観光スポットとなった。これまで「アイヌ民族であることは恥だ、アイヌ語をしゃべってはいけない」と教えられてきた多くのアイヌ民族は生きるためにアイヌ人であることをあからさまにし、これまでは年に一度、大事な儀式として存在していたイオマンテ(熊を神と見立て、感謝しながら毛皮や肉を頂く儀式)を毎日のように観光客向けに行なったりするようになった。その努力?もあって現代ではアイヌ民族への理解の深まりと認知度の向上が達成でき、復興にチカラを注ぎやすい環境になった。

19~20世紀前半までの言語研究

近代欧米文化を軸にした言語研究

この時代の言語研究の目的は文化の起源を探求することにあった。一般的には近代欧米文化が最も高次な領域にあり、地域の民族が持っている文化を低次と見なし、高次なものへと上げていくという文化進化論が幅を効かせていた。今となっては偏見もいいところである。

よって、民族の持つ文献(碑文や書物)などから文化理解を深めようと、言語を比較しながら研究を進める比較言語学が盛んになった。しだいに書き言葉以外にも音韻や文法構造の変化を汲み取り、より精密な分析をする動きが生まれ、研究対象は口語資料に移っていった。これらの分析により、言語の変化を明確化し、変化パターンを追求するものが研究のゴールになりえた。

構造主義(Structuralism)

科学的な検証に耐えうる方法で上記の研究を行なれたのだが、その研究手法を構造主義と呼ぶ。音の連続体である言語資料を帰納的に分析し、言語の単位を定め、言語間のつながりの法則を明らかにしようとした。

構造主義の理論的意義

  1. 共時態と通時態への分離
  2. エティックとエミックへの分離

共時態・通時態とは
共時態とは時代ごとに言葉をみるのではなく、現在なら現在の一点にしぼって使われている言葉の実態を指す。一方で通時態とは歴史・時代の時間軸で区切って言葉の実態を捉えたものを指す。

エティックとエミックとは
エティック(phonetic: 音声的)とは普遍的な言葉の音のことを指す。エミック(phoneme: 音素)とは母語話者の頭の中で認識される音のことを指す。言い換えると、エティックはすべての言語を母体にとり、それぞれの言語で発せられる音すべてをコレクションした集合体であり、エミックとはある人が持っている音である。なのえエティック的には分離できても、エミックの視点では統合されて1つの音のケースがあったりする。

考察・疑問:

  • どうして共時態と通時態という分け方をしたのか?
  • エティックとエミックの分離は機械翻訳の際めっちゃ便利だと思う!